原題:Anna Karenina
監督:ジョー・ライト
脚本:トム・ストッパード
原作:レフ・トルストイ
衣装:ジャクリーン・デュラン
音楽:ダリオ・マリアネッリ
振付:シディ・ラルビ・シェルカウイ
19世紀のロシア、サンクトペテルブルグ。18歳で結婚したアンナ(キーラ・ナイトレイ)は政府のエリート役人カレーニン(ジュード・ロウ)と結婚し、ワロージャというかわいい息子がいて、満たされたように見える暮らしをしていた。兄オブロンスキーの浮気が元の夫婦喧嘩を仲裁しにモスクワを訪れた彼女は、そこで若い将校ヴロンスキー(アーロン・テイラー・ジョンソン)に出会う。ヴロンスキーは、オブロンスキーの妻ドリーの妹キティ(アリシア・ヴィキャンデル)の想い人であったが、ヴロンスキーはアンナにひと目惚れし、やがてふたりは許されない恋におちる…。
何度も映画化され、最近ではボリス・エイフマンやアレクセイ・ラトマンスキーも映画化しているトルストイの原作を、トム・ストッパードの脚本でジョー・ライトが映画化。作品世界の大半が古い劇場(オペラハウス)の中で展開するという趣向で、振付をシディ・ラルビ・シェルカウイが手がけているために、ダンスシーンのみならず登場人物の仕草や小道具の動きまでもがダンス的なものとなっている。冒頭で床屋が翻すケープまでも、闘牛士のマントのように華麗に舞っているし、額に汗流すリョービンや労働者たちの働く姿もダンスを彷彿させ、書類ですら踊っている。舞踏会で劇場の天井が開き、人々がバレリーナのように大きく背中を反らせると、空に花火が上がるスペクタクルなシーン。キティを演じるのは、スウェーデン国立バレエ学校で学んだ元バレリーナのアリシア・ヴィキャンデルで、舞踏会でリフトされるシーンにバレリーナらしさが発揮されている。
劇場を舞台としていることは、劇的な効果をこの作品に与えている。アンナたちが暮らす貴族社会そのものを劇場の舞台の上と描き、観客に常に見られていて、貴族社会の掟に従って良妻賢母を演じていなければならないアンナの閉塞感を表現している。原作でも、社会の掟に背き、ヴロンスキーの元に走った彼女がオペラを観に行き、人々の冷たい視線を浴びて打ちのめされる終盤のシーンがあるが、このシーンはまさに”舞台=社会”の縮図である。競馬やスケートの場面ですら劇場で展開され、またアンナやカレーニンが暮らす家や、カレーニンが働く役所も、劇場の上階のようである。
その一方で、キティに想いを寄せるリョービンが暮らす地や、アンナとヴロンスキーが愛の陶酔に身を任すピクニックシーンは、劇場の外の開放的なロケーションで表現されていて、貴族社会の重苦しさとは対照的に描かれている。リョービンが都会を捨てようと決心し、劇場という閉ざされた空間にある扉を開くと、そこにはロシアの大雪原が広がる象徴性の見せ方。映画ならではの非現実的な演出効果と、舞台劇らしい場面転換が、巧みに融合されていて、まるで魔術のようだ。舞台の上部やバックステージまでもが映画の舞台装置として機能している。脇の登場人物が、画面の袖で服を早着替えして別の脇役に変身するところまで、舞台そのものだ。
アンナとヴロンスキーが恋に落ちる舞踏会のシーンでは、彼らが踊りだすと周囲が凍りついたように止まり、通り過ぎると再び踊りだす。やがて彼らは一瞬のうちに消えて、アンナとヴロンスキーだけが劇場の中にいる。ここのシーンも極めてバレエ的だ。ふたりが踊るダンスの振り付けも、普通のボールルームダンスではなくて、腕の表現を雄弁に使ってセクシャルな印象を与えるもの、いかにもシェルカウイというコンテンポラリーダンスの振付家が創造した官能的な踊りで、まるでダンスフロアで愛を交わしているかのようだった。キティと踊るはずのヴロンスキーが、なぜアンナに惹かれていったのかもこのシーンで見事に説明されている。
この映画の、ライブ感のある映像とダンス的な躍動感は、アンナとヴロンスキーのめくるめく恋が加速し、破滅へと突き進んでいく情熱を伝えるのにも成功している。冒頭の列車事故のシーンから続く列車の走るエンジン音、繰り返される印象的なテーマ音楽、リズミカルなハンコを押す音。手の付けられないほど暴走するアンナの熱情を語っているかのようだ。セリフに依存しなくても、時に踊りや仕草は言葉以上に雄弁であることを再認識された、見事な演出ぶりである。
映画の本筋についても少し。オブロンスキーの浮気の顛末を見ても、不倫は貴族社会にはありうること。ただ、アンナのように衆目の前で大胆なダンスを踊り、挙げ句の果てに夫を裏切って若い男に走ったことを世間に明らかにすることは許されることではなかった。アンナは、それが許されることではないと分かっていたのに、どうしようもない感情の高ぶりによってヴロンスキーと愛し合うようになる。許されないことをして、貴族社会に反抗した末に、追い詰められ自分自身も許せなくなって死を選ぶアンナ。一方、アンナの夫カレーニンは、不倫に気がついてたしなめ、一度は許そうとしようとするも、逆にそれが彼女の恋の火に油を注ぐ結果となる。それでも、一時危篤となったアンナを見舞い、アンナの死後にはヴロンスキーとの子供を育てるカレーニンは、アンナを許していたのだろうと感じた。一度は振ったリョービンと結婚し、彼に詫びるキティ。出奔した放蕩者の兄を許すリョービン。「アンナ・カレーニナ」は罪と許しを描いた作品でもある。堅物の外見の下に、大きな愛と隠れた寛容さを感じさせたカレーニン役ジュード・ロウの演技に、心打たれた。
ちなみに、ダンスシーンには、マシュー・ボーンのニュー・アドベンチャーズで活躍しているアーロン・シルズ、ミケーラ・メッツァ、そして「TeZukA」に出演したダニエル・プロイエットなど多くの注目ダンサーが出演している。
シディ・ラルビ・シェルカウイの、「アンナ・カレーニナ」における振付について語ったインタビュー(オフィシャルサイトより、英語)
http://focusfeatures.com/article/making_anna_karenina_dance?film=anna_karenina
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