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9/28, 30 東京バレエ団「オネーギン」 The Tokyo Ballet Onegin

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ジョン・クランコによる全3幕のバレエ
アレクサンドル・プーシキンの韻文小説に基づく

振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・I.チャイコフスキー
編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
装置・衣裳:ユルゲン・ローゼ
振付指導:リード・アンダーソン、ジェーン・ボーン
コピーライト:ディーター・グラーフェ
世界初演:1965年4月13日、シュツットガルト
改訂版初演:1967年10月27日、シュツットガルト

東京文化会館(東京)

オネーギン:エヴァン・マッキー Evan McKie
レンスキー:アレクサンドル・ザイツェフ Alexander Zaitsev
タチヤーナ:吉岡美佳 Mika Yoshioka
オリガ:小出領子 Reiko Koide
ラーリナ夫人:矢島まい 
乳母:坂井直子
グレーミン公爵:高岸直樹


エヴァン・マッキーは役を自分に引き寄せるダンサーである。彼はオネーギンそのものに同一化し、オネーギンの人物像を練り上げるのではなく自分の個人の感情を役の中にこめて演じているので、演技がとても細かく自然に感じられるし、それぞれの舞台においても、毎回少しずつ違う自分の気持ちに従っているため、観るたびに異なった表現ができて”役を生き”ている。オネーギンという複雑な人物の変遷、彼の人生を観客は追体験できるのだ。しかも、パートナー毎に毎回違ったオネーギン像を彼は見せてくれる。今まで彼がパートナーを務めたバレリーナ6人全員との組み合わせを観たが、それぞれが全部異なるケミストリーがあった。そして30日の公演では、彼の熱情が吉岡美佳さんに驚くべき変化をもたらしたのだった。

2年半前にエヴァンのオネーギン・デビューを観たときには、1幕ではなんと人の良さそうなオネーギンだろうと思った。今回の彼は、とても慇懃で礼儀作法はきちんとしているものの、とても空虚で虚栄心の強い、自分にしか関心を持たない人物だ。1曲目のソロで、自分の視界からタチヤーナの存在を消して行って、自分ひとりの世界に溺れるがごとく、ナルシスティックな姿。一分の隙もなく、指先からつま先のすみずみまで行き届いた動き。一つ一つの動作が磨き抜かれており、都会の垢抜けた紳士としてこの田舎町で際立っているというか、ほかの人々を見下ろすような長身で黒衣の彼はとても異質で浮き上がっている。彼を包んでいる空気自体がひんやりとしていて別物のようだ。研ぎ澄まされていて、ナイフのように冷ややかで尖った存在の高等遊民、そんなオネーギン。一方、田舎の少女にしては洗練されていてお嬢さんぽいが、物静かな吉岡さんのタチヤーナはあこがれをこめた視線で遠くから少し恥ずかしそうに彼を見つめ続ける。

鏡のパ・ド・ドゥでは、長い腕で弧を描き悪魔的な微笑みを浮かべながらオネーギンは出てくる。このシーンでのオネーギン、クール悪魔ヴァージョンと優しい悪魔ヴァージョンの二通りあると思うのだが、今日のエヴァンは、いつになく優しげなオネーギンで、甘い微笑みを浮かべてタチヤーナの夢を体現した。後ろ脚が垂直に突き刺さるほど高く上がるアントルラッセ、美しく伸びたジュテと無音の着地。恋心に高揚するタチヤーナを包み込むようにサポートし、疾走感を保ちながらいくつもの跳躍へと導く。いつもはお姫様キャラの吉岡さんも、ここでは笑顔を花開かせたドリーミーな少女で、オネーギンの腕の中で奔放に舞っている。長身のエヴァンにサポートされると驚くばかりの高さに舞い上がる吉岡タチヤーナは、柔らかい背中を生かしたアラベスクで歓びを全身で表し、多幸感に酔いしれる。タチヤーナが甘い余韻に浸っている間に、また長い腕を手招きするように振りながら、スタイリッシュに鏡の中へと消えていくオネーギン。

タチヤーナの名前の日の宴では、オネーギンはあからさまに退屈していて、欠伸などみせている。部屋の隅で黒い染みのようになってエレガントにトランプ遊びに興じるオネーギンは、こんなつまらない田舎にいることに飽き飽きしている。タチヤーナがしきりに自分のことを気にしているから、苛立ちが募り、ついには彼女からの手紙をビリビリに破いてしまう。礼儀を損なわないように丁寧に接しているし、恋に恋していないで現実を見ろと言いたげな彼なのだけど、タチヤーナにとっては心が二つに割れてしまったかのようだ。この日のオネーギンは、この上なく美しいが憐れで悲しい男だ。小娘相手に苛立っている自分のことが心の奥底では嫌で嫌で仕方ないのに、虚勢を張ってクールに振舞っている。本当はタチヤーナと同じように、繊細で壊れやすく孤独な魂を持っているのに。机をバンと叩き立ち上がる姿にも、タチヤーナに苛立っているだけでなく、自分自身に対してもナルシズムと表裏一体の嫌悪感を抱いていることがわかって、観ている側としても辛くなる。なんという哀しいエゴイスト。隙がなく美しく洗練されていればいるほど、このオネーギンはより一層哀しく見えるのだ。

オネーギンの中のふさぎの虫は黙っていることができなかった。再び悪魔の微笑みを浮かべて、オルガの手を取って戯れる。楽しそうにオルガを弄んで有頂天にさせる彼だが、本当はこんな退屈しのぎのゲームなどすべきではないということをわかっていた。純朴なレンスキーを激怒させて決闘を申し込ませる事態にまでなるとは、さすがの彼も予想ができなかったようだが。

決闘に向かうオネーギンは、すでに敗者の気配を濃厚に漂わせている。マントから取り出した銃を見ておののき、自分の退屈しのぎのゲームがこんな事態をもたらしてしまったことを激しく後悔している。彼の銃弾にレンスキーが斃れると、タチヤーナの射るような視線に耐え切れず、自責の念とともに愕然とするオネーギンの姿があまりにも哀れだ。この決闘に勝者はいない。すべての者が傷ついた、そんな痛切な幕切れだった。

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「エフゲニー・オネーギン」(イリヤ・レーピン)

3幕のエヴァンは、28日の方が白髪が目立っていた感じだ。年月は経たものの、相変わらず美しい立ち姿のオネーギンだが、この数年の間、彼がどんな地獄をくぐり抜けてきたのかが浮かび上がってくるようなやつれ方。耳を隠して美しく変貌した貴婦人タチヤーナを見つめる瞳は、まるでタチヤーナは彼自身の人生における最後の希望として見ているようだ。それなのにグレーミンと踊ったタチヤーナは、去り際にもほとんどまともにオネーギンの姿を見ようともしない。

最後の手紙のパ・ド・ドゥ。28日に観た吉岡さんは、一度ポワントが落ちた他はきれいに踊れていたものの、とても頑なでオネーギンに最後まで心を許そうとしない、とても冷たいタチヤーナに感じられた。激しいオネーギンの求愛に対しても心揺れることなく、最初から彼を拒絶する気持ちが固まっていたように見えた。だが、30日は一転して、彼女は自分の中の理性と戦い葛藤して揺れ動く様を表情ではなく肉体で表現した。迷いに迷った末に決断を下しオネーギンを追い出すものの、終生その選択を悔やんで生きただろうと思わせるほどの嘆きと苦悩を感じさせて、大熱演だった。この劇的な変化はまるで魔法のよう。

その演技を引き出したのが、自己の存在意義のすべてを賭けて、つまづいてしまった人生を立て直す唯一の光としてのタチヤーナへ、直球の想いをぶつけるエヴァンのオネーギンだった。愛だけじゃない、彼女は失ってしまった彼の誇りをも象徴している。ここでの彼の表現は若々しい。人生の辛酸をなめてきたのは伝わってくるが、タチヤーナに再会して彼の心は彼女と出会った頃の若さや魅力を取り戻していた。彼の踊りからは台詞が聞こえる。そしてすべての虚飾を剥ぎ取った裸の感情が奔流となって流れ出る。涙を流しながらタチヤーナの背後から迫り、ついにはタチヤーナの気持ちがこちらを向いて勝利を確信した彼は、彼女の目を見て微笑むのだ。だから、突然タチヤーナが彼の前に手紙を突き出し、それを破り捨てるとき、彼女の取った行動に彼は心底驚き慌てる。歓喜から絶望の底に突き落とされたオネーギンは、我を捨ててすがりつくも紳士としての気品を保ちながら走り去り、タチヤーナは慟哭する。この最後の表現、激しく泣き叫ぶ人もいれば、じっと耐え抜き正しい選択をしたと自分に言い聞かせるタチヤーナもいる。吉岡さんは、それほど激烈な嘆きは見せなかったものの、降り積もる雪のような哀しみを見せて、タチヤーナがオネーギンのことを愛していたことを表現した。カーテンコールで役から抜けきらず立ち尽くしている姿が忘れがたい。

Tchaikovsky: OneginTchaikovsky: Onegin
Emerson String Quartet

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追記:ところで、先日まで開催されていたレーピン展には、「決闘」という作品が出展されていたが、これが思いっきり「オネーギン」の決闘シーンを思わせるものであった。この展覧会には出品されていないが、レーピンの作品には題名も「エフゲニー・オネーギン」というものもある。レーピンは、この他にも決闘をモチーフとした作品をいくつか残している。

Theduel1897jpgblog
「決闘」(イリヤ・レーピン)


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