伝説的なバレリーナであり、最近まで舞台に立ち続けた伝説的なバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤが心臓発作で5月2日にドイツで亡くなりました。89歳でした。ボリショイ劇場のウリン総裁が、もっとも偉大なバレリーナの死を発表しました。
http://lifenews.ru/news/153385
http://tass.ru/kultura/1946356
Legendary Bolshoi ballerina Maya Plisetskaya dies at 89 (英語)
http://rt.com/news/255153-russian-ballerina-plisetskaya-dies/
Maya Plisetskaya, Ballerina Who Embodied Bolshoi, Dies at 89
http://www.nytimes.com/2015/05/03/arts/dance/maya-plisetskaya-ballerina-who-embodied-bolshoi-dies-at-89.html
1925年11月20日に生まれたプリセツカヤは、34年にモスクワ舞踊アカデミーに入学しました。しかしその間、父親は粛清され、女優だった母親は強制収容所に流刑されるという苦難に遭い、彼女自身もバレエ学校を一時追われることになります。母方の伯母であるバレリーナ、スラミフィ・メッセレルによって育てられました。
1943年にボリショイ・バレエに入団し、コール・ド・バレエでの入団であったけれども一年目に「くるみ割り人形」のマーシャ役に抜擢されます。炎のような跳躍、卓越したテクニック、優れた音楽性と表現力で様々な主役を経験しましたが、特に「白鳥の湖」のオデット、オディールは人間離れした滑らかな腕の動きで大評判を呼びます。ユダヤ系ということもあり、上層部の覚えはめでたくなく、海外ツアーに参加できないこともありました。だが、初めて海外で踊ったボリショイの59年の西側へのツアーでは、彼女のダイナミックな踊りと優れた表現は大センセーションを呼びました。65歳、90年まで彼女はボリショイ劇場で活躍します。
振付家としての才能もあった彼女は、夫君シチェドリンの音楽を得て「アンナ・カレーニナ」を振り付け、他にも「犬を連れた奥さん」「かもめ」なども振付けています。またアルベルト・アロンソ振付の「カルメン組曲」をともに作り上げ、彼女のクリエイティブな才能が発揮されました。多くの振付家が彼女のために作品を創り、中でもアロンソのカルメンと並び、ローラン・プティの「病める薔薇」は美しい作品でした。「瀕死の白鳥」も彼女のトレードマークの一つです。現代作品を積極的に踊り、命がけで新作をプロデュースして果敢にバレエの世界を広げて行った芸術家でした。
ボリショイ劇場を退団したのちも、プリセツカヤは自らの公演を主催してヨーロッパを中心に踊ります。1983年から84年はローマ歌劇場バレエの芸術監督、88年から90年にはスペイン国立ダンスカンパニーの芸術監督を務めました。95年には、インペリアル・ロシア・バレエ団の設立にも関わります。モーリス・ベジャールが彼女のために振付けた「アヴェ・マイヤ」を近年まで踊りつづけました。94年からは、自身の名を冠したマイヤ・プリセツカヤ国際バレエコンクールの審査員長を務めていました。同年、自伝「闘う白鳥」を出版しました。
ゴージャスな美貌で、ピエール・カルダン、イヴ・サン=ローランなど多くのデザイナーのミューズでもありました。
59年にはロシア人民芸術家を授与されます。92年にはアンナ・パヴロワ賞を受賞。フランスの芸術文化勲章(1984)とレジオンドヌール勲章(1986、2012)、スペイン芸術文学勲章(1991)、「リトアニアへの貢献に対する騎士大十字章」(2003)、ロシアの「舞踏の魂」賞(2009年)また2006年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しました。85年にはソルボンヌ大学の名誉博士号も授与されました。2008年3月30日には、京都 上賀茂神社で能楽師 梅若六郎と踊りました。2011年秋の叙勲で旭日中綬章を受章し、伝達式のために来日もしています。
マイヤ・プリセツカヤさん死去=20世紀最高のバレリーナ-ロシア
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2015050300015&j4
プーチン大統領は「偉大なるロシアのバレリーナ、プリセツカヤさんの家族・親族や才能を認める人々全員に、心からお悔やみを申し上げる」との声明を発表した。
「闘う白鳥」では、彼女が少女時代に体験した、想像を絶する苦難について、そしてボリショイ・バレエに入団してからも、ソ連当局に目をつけられて危うく粛清されそうになったことなど、様々な戦いについて書かれています。バレエ学校時代の両親の粛清や流刑などにより、思うようにバレエを学べない時代もありました。強靭な意志と努力によって運命を切り開き、50年以上舞台に立ち続けた偉大なバレリーナ、プリセツカヤ。日本でも、世界バレエフェスティバルへの幾たびの出演を始め、何度も舞台に立ち、私も幸運にも彼女の踊りを観ることができました。80歳を超えても、年齢を超越した美貌を保ち、いつまでも生き続けると思われましたが、ついにこの世を去ることになったのですね。いつまでもその名前は、数々の伝説そして映像によって、バレエの歴史に残り続けることでしょう。
プリセツカヤ・シチェドリン国際財団公式サイト
http://www.shchedrin.de/index.php?id=10
61歳の時に東京で踊った「瀕死の白鳥」
https://youtu.be/Luz5g-doa34
1959年に踊った「ドン・キホーテ」キトリ
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