エルヴェ・モローの降板に伴うキャスト変更、プログラム変更はあれども、ジェルマン・ルーヴェ、レオノール・ボラックという伸び盛りの若手を加え、パリ・オペラ座バレエの現在の形を見せてくれた「エトワール・ガラ」は充実した公演となった。
オペラ座の伝統を構成するヌレエフ作品、ミルピエ前芸術監督が積極的に導入したものの以前からも上演されているバランシンやロビンス、加えてマクレガー、ビゴンゼッティなどの現代作品、ハンブルグ組によるノイマイヤー作品。バラエティに富んだプログラムではあるが、作家性の高い作品が多いところにペッシュの矜持を感じる。
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『グラン・パ・クラシック』Grand Pas Classique
振付:ヴィクトル・グゾフスキー、音楽:フランソワ・オーベール
出演:ローラ・エケ&ジェルマン・ルーヴェ
ジェルマン・ルーヴェの日本デビューは、鮮やかなものだった。つま先まできれいに伸びた脚、特にシソンヌの時に開いた脚のラインが見事で、着地音もなく軽やか。特にアントルシャ・シスの時の足さばきが鮮やかで美しい。サポートはこれからの課題だけど、彼はまだ22歳のスジェ。一方、ローラ・エケはエトワールの貫録を見せてくれた。特にヴァリエーションでの連続バロネとエカルテは強靭で余裕と安定感があった。エケのエポールマンやポール・ド・ブラは典雅なパリ・オペラ座スタイル。
『スターバト・マーテル』Stabat Mater
振付:バンジャマン・ペッシュ、音楽:アントニオ・ヴィヴァルディ
出演:エレオノラ・アバニャート、バンジャマン・ペッシュ
「スターバト・マーテル」とは、キリストが十字架にかけられた横での聖母マリアの様子を歌った13世紀のラテン語聖歌の歌詞「悲嘆にくれるも聖母は立ち尽くす」という意味の一節とのこと。同じタイトルの曲は、ハイドンやプーランクなども作曲しているけどこちらは司祭でもあったヴィヴァルディによる作曲。薄いピンクの衣をまとったエレオノラ・アバニャートがフードを持ち上げて顔を出すところから始まる。流れるような美しい振付で、歌の入った音楽にもとても合っている。ラストはまさしく「ピエタ」のように、再びフードをかぶったアバニャートが横たわるペッシュを抱きかかえるところで幕。
『シンデレラ・ストーリー』A Cinderella Story
振付:ジョン・ノイマイヤー、音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
出演:シルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアブコ
この『シンデレラ・ストーリー』、ハンブルグで2007年に観ている。従来の『シンデレラ』のイメージと違って派手なところはなく、シンデレラが王子の愛を受け入れられずきらびやかな生活も自分のものとは感じられない。王子は旅に出て時が過ぎたのちに再びシンデレラに求愛するという物語。叔父役を初演したのはマニュエル・ルグリ。舞台装置もシンプルで、シンデレラが少女時代、母が亡くなった時に植えた木が、終幕では大きく育っているのが印象的だった。このパ・ド・ドゥは、物語の終盤、王子が変わらぬ愛を告白するところ。寂しく自信を失っているシンデレラの元に王子がやってきて愛をはぐくんでいく。シルヴィア・アッツオーニが少しずつ心を開いていき、最後には幸福に輝くようになる心境の変化を踊りで表現しているところが見事だし、リアブコはソロでは輝かしいクラシックの技術も見せてくれる。ドラマティックな表現では、このペアに並ぶものはいない。変わらぬ愛の象徴としてのオレンジを、カーテンコールでも大事そうに持っているところが素敵だった。
『カラヴァッジョ』Caravaggio
振付:マウロ・ビゴンゼッティ Mauro Bigonzetti
音楽:ブルーノ・モレッティ(クラウディオ・モンテヴェルディの原曲に基づく)
出演:レオノール・ボラック、マチュー・ガニオ
『カラヴァッジョ』は、2008年にベルリン国立バレエのためにビゴンゼッティが振付けた作品でDVDにもなっている。画家カラヴァッジョの波乱万丈の生涯を描くというよりは、彼が生み出した光と影による劇的な表現をバレエの世界に持ち込んだ。「ローマのカーニバル」と題したこのパートでも、カラヴァッジョ的な照明の使い方、それが肉体に陰影を作っていく様子がとても美しい。モンテヴェルディによるバロック音楽にもとてもよく合っている。最小限の衣装を身に着けたマチュー・ガニオとレオノール・ボラックの身体は研ぎ澄まされ、ゆっくりとした動きも一つ一つがとても洗練されていてほのかな官能が立ち上る。コンテンポラリーが得意というボラックの強靭さ、ガニオの存在感、このガラで初めてペアを組むというふたりだが、良いパートナーシップだった。
『三人姉妹』Winter Dreams
振付:ケネス・マクミラン、音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
出演:アマンディーヌ・アルビッソン、オードリック・ベザール
ピアノ:久山亮子
マクミランの『三人姉妹』はオペラ座のレパートリーには入っていないのだけど、アルビッソンとベザールのたっての願いでマクミラン財団の許可を得てエトワール・ガラでの上演が実現した。全幕を踊ったことがないダンサーが一部を切り取ってガラで上演するのはなかなか難しいことだと思うが、二人とも役の中には入り切って頑張っているのはわかる。アルビッソンは、不倫の恋に苦しむマーシャの心情を丁寧に掬い取り、彼が去った後に残されたコートの残り香を嗅ぐところも情感たっぷりに演じていた。『オネーギン』のタチヤーナ役でエトワールに任命された時には、この作品で任命されたことに対する賛否があったのだが、少なくとも今なら良く演じることができるだろう。ベザールは長身でハンサムな容姿はヴェルシーニン役が似合うはずなのだが、怒り気味の肩にあまり軍服が似合っていないような。オペラ座の洗練されたダンサーには、ロシア人の役は合わないのかもしれない。まっすぐで不器用な想いを伝えようとしているのはよくわかったが。久山亮子さんのピアノの音色はクリアで素晴らしかった。
『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』 Tchaikovsky Pas de Deux
振付:ジョージ・バランシン、音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
出演:ドロテ・ジルベール、ユーゴ・マルシャン
身長193cmという長身のユーゴ・マルシャンだが、大柄な彼でも着地音がしないのがすごい。ダイナミックな跳躍、つま先もとてもきれいできちんと5番に降り、音楽性もよく活きの良さを感じさせた。ヴァリエーションでの左右にシソンヌする動きでは、脚をスゴンドに振り上げる前にバットゥリーも入れるなどテクニックも素晴らしい。ドロテ・ジルベールと彼は『ロミオとジュリエット』『ラ・バヤデール』『マノン』と共演していて相性はとても良いはずなのだけど、この作品においては少し身長差を感じさせてパートナーシップは万全とはいかないところがあった。ジルベールの方が余裕を感じさせたけど、余裕がありすぎて音楽を思いっきり引っ張っているところには好き嫌いが分かれるかもしれない。技術的には彼女には非の打ちどころはない。
『くるみ割り人形』より Casse Noisette
振付:ルドルフ・ヌレエフ、音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
出演:レオノール・ボラック、ジェルマン・ルーヴェ
バスティーユでの『くるみ割り人形』でも共演した、若くてキラキラしている二人。愛らしいボラックは華やかなチュチュがよく似合うし、ルーヴェも童顔ながらまさに夢の王子様。ヌレエフの振付は非常に難しく、クララのコーダはアン・ドゥダン(内回り)中心だし、王子のコーダも方向転換が多用されてとても複雑だけど、二人は見事にこなしていた。複雑な足捌きがあることと派手さというのは両立しないので、ワイノーネン版やライト版のような盛り上がりはないけれども、パリ・オペラ座バレエならではのアカデミックな技術を二人とも備えているのがよくわかった。
『クローサー』 *日本初演 Closer
振付:バンジャマン・ミルピエ、音楽:フィリップ・グラス
出演:エレオノラ・アバニャート、オードリック・ベザール
ピアノ:久山亮子
フィリップ・グラスのミニマルなピアノ音楽に合わせて、寄せては返す波のように男女の距離が縮まっては遠ざかる、そんな様子を描いたミルピエの作品。男性が背後から女性を抱きかかえ、女性がやや脱力したようにうずくまっては離れたり、男性が女性を高く、そして低く持ち上げ振り回したり引きずったり、弛緩と伸長という動作が反復される。フレーズはほとんど同じものの、ピアニッシモとフォルテッシモがあることで感情の動きを繊細に表現している久山さんの演奏が見事。白い下着のような衣装の女性、男性も白いタイツのみ。サポートされている女性の身体能力の高さが求められており、コンテンポラリーに定評のあるエレオノラ・アバニャートは流石に素晴らしく弛緩しているポーズですら美しい。途中まではスタイリッシュで魅力的な作品だと感じたのだが、そろそろ終わるかな、と思ってもまだ続き、少々長すぎるように感じられてしまった。
これはバレエ・ドルトムントで上演された時の映像
『Sanzaru』 *日本初演
振付:ティアゴ・ボァディン、音楽:フィリップ・グラス
出演:シルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアブコ
フィリップ・グラスの音楽を使ったコンテンポラリー作品を2つ続けて上演するのは構成上のミスだと思ったが(中には眠気に襲われている方もいた)、この作品はユニークだった。ハンブルグ・バレエの元プリンシパルで、今はNDTに所属しているティアゴ・ボァディンの作品。『Sanzaru』とはまさに、見ざる、聞かざる、言わざるの「三猿」のことで、振付の中にも、手で目、耳、口を覆うしぐさが出てくる。非常に精緻なパートナーリングを必要としていて、驚くべきようなバランスやリフトも登場してスリリング。アッツオーニとリアブコの技術の高さを堪能できた。
『瀕死の白鳥』 Dying Swan
振付:ミハイル・フォーキン、音楽:カミーユ・サン=サーンス
出演:ドロテ・ジルベール
ドロテ・ジルベールの瀕死の白鳥は凛としていて、静謐さを感じさせながらも、とても強い。腕はなめらかに波打つような動きを見せながらも生命力に満ちていて、運命と闘いながらもやがてそれを受け入れる。
『感覚の解剖学』より L’Anatomie de la sensation
音楽:マーク・アンソニー・タネジ(「Blood on the Floor」より)
振付:ウェイン・マクレガー
出演:ローラ・エケ、ユーゴ・マルシャン
Aプロはコンテンポラリー作品が多かったのだが、その中で、フランシス・ベーコンの絵画にインスピレーションを得た『感覚の解剖学』は異色の作品だった。マクレガーらしいうねうねとくねるようなポーズの応酬、けだるいようなジャズの音楽、オフバランスや低い重心、複雑なパートナーリング、音楽とはまるであっていないムーブメント。中には少し乾いたようなユーモアも感じられる。ベーコンの作品の中にある恐怖や寂寥感はないけれども、美しい肉体の賛歌ではある。高度な技術を必要とすることは言うまでもなく、特にローラ・エケのシャープさと現代性が光る。ユーゴ・マルシャンはパンツ一枚で、見事な肉体美を披露してくれた。こういう作品を観ると、マクレガーは振付家としてミルピエよりはオリジナリティがあって面白いと感じられる。
『アザーダンス』 Other Dances
振付:ジェローム・ロビンズ、音楽:フレデリック・ショパン
出演:アマンディーヌ・アルビッソン、マチュー・ガニオ
ピアノ:久山亮子
昨年の世界バレエフェスティバルでもこのアルビッソン、ガニオのペアで上演された作品だが、その時はこのペアはちぐはぐなところがあり、あまり合っているとは思えず、やや退屈してしまっていた。だが、今回、この二人が見違えるように良くなっていたのに驚いた。二人の間に気持ちが通い合って抒情性も感じられ、ストーリーはなくとも心に染み入るようだった。マチューのソロはとても鮮やかだし(足捌きの美しさ、パ・デ・シャの高さ!)、美しさの中に作品の中に込められたユーモアもしっかり表現。アルビッソンの音の使い方もよく、とても丁寧に踊られていた。久山さんの演奏はここでもきらりと光った。『アザーダンス』は来年3月のパリ・オペラ座バレエの来日公演でも上演される予定なのだが、このペアを目当てにチケットを買う方も多いことだろう。マチューが本物のスターの輝きを手に入れたのを実感した。
『ル・パルク』より“解放のパ・ド・ドゥ” Le Parc "Abandon"
振付:アンジュラン・プレルジョカージュ
音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
出演:エレオノラ・アバニャート、バンジャマン・ペッシュ
バンジャマン・ペッシュのパリ・オペラ座バレエのさよなら公演でも踊られた『ル・パルク』だったので、万感の想いで踊っているのが感じられた。来シーズンから彼はローマ歌劇場バレエで、芸術監督エレオノラ・アバニャートの右腕となって働くことになる。長年の二人のパートナーシップから来る暖かい気持ちが通い合う、美しいパ・ド・ドゥ。エレオノラの官能的な表現の素晴らしさは言うまでもない。ペッシュは腰が悪いようで、リフトなどは少々苦しそうだが、伊達男の彼はこの作品の衣装や髪型も良く似合い、すべてをゆだね合う男女の心の機微と優しさが伝わってくる。このパ・ド・ドゥの見せ場は、キスしながら女性を遠心力で回転させるフライイング・キスの場面なのだが、最終日、このシーンで拍手が出たのは非常に興ざめだった。「エトワール・ガラ」を続けてきてここまで育ててきてくれたペッシュへの感謝の気持ちを込めて観ていたし、もしかしたら彼が踊るのを観るのは最後になるかもしれないのに…。
ガルニエで観たペッシュとアバニャートが共演した『椿姫』、彼が主演した『オネーギン』や『ジゼル』の舞台を思い出しながらしみじみと感慨にふけった。
エンディングは前回と同じマンボの曲。普通に舞台に歩いていく人もいれば、ドロテ・ジルベールのように白鳥のチュチュなのに大きく腕を広げてゆらゆら踊ったり、意外なことにちょっとおどけるリアブコ、セクシーに踊るアバニャートなど様々。「エトワール・ガラ」はすっかり日本の夏の風物詩として定着した。ペッシュがオペラ座を離れることなど、いろいろと変化は起きてくるだろうが、これからも続けてほしい好企画である。パリでも観られない、贅沢な公演なのだから。