いつものバレエネタはしばらくお休み中なので、たまにはアートの記事を。
現在 Bunkamuraザ・ミュージアムにて、「国立トレチャコフ美術館所蔵・レーピン展」が開催されている(~10月8日まで)。
http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/12_repin/index.html
2009年に同じくBunkamuraザ・ミュージアムにて、「忘れえぬロシア」展が開催されたが、ここで観たイリヤ・レーピンの作品がとても素晴らしく、レーピンの作品をまとまった形で観たいと思っていたところ、レーピン展が開催されることになった上、トークショーつきのスペシャル企画にも参加させていただいた。
19世紀後半から20世紀初頭まで、ロシア絵画界を代表する巨匠として活躍したレーピン。文豪トルストイや作曲家ムソルグスキーの肖像画(死の10日前に描かれたという)を描いたことでも知られているため、ジャパンアーツのブログでも紹介記事が掲載されている。
http://ja-ballet.seesaa.net/article/282874796.html
今回の青い日記帳×レーピン展『ブロガー・スペシャルナイト』では、人気アートブログ「青い日記帳」のTakさんがナビゲーターとなり、山下祐二氏(明治学院大学教授)と籾山昌夫氏(神奈川県立近代美術館 主任学芸員・本展構成者の一人)の対談を実施。籾山昌夫氏は、ロシア美術を研究されている数少ない研究者(実際両手の数に収まるしかいないそう)の一人ということもあり、たいへん興味深い話を聞くことができた。
籾山氏によれば、そもそも19世紀ロシア絵画を日本で観る機会自体が大変少なく、レーピンの作品そのものも、横浜美術館に1点所蔵されているのが確認されているのみだという。ほかに1点、とある社長の所有物があったのだが、その作品は盗難にあってしまったそう。レーピンの展覧会も70年代(日光荘主催で三越にて)と90年代に小樽にあったロシア美術館にて1度ずつ行われたのみで、今回ほどの本格的な展覧会は初めてとのことだ。
1844年~1930年というレーピンが生きた時代は、日本で言えば天保から昭和という長い時代に渡るのだが、ロシア革命後のレーピンの消息があまり伝わってこなかったこともあり、実は革命後の混乱期に餓死したのではないかというデマが日本で流れたそうだ。なぜレーピンをめぐるそんなデマが日本で流れたかというと、トルストイの肖像画を彼が描いていたということで彼の名は日本では知られており、「荒城の月」を作詞した土井晩翠が、そのデマを聞いてレーピンの死を悼む詩を詠んだりしていたとのこと。
だが、トルストイなどのロシア文学が日本でブームを呼んでいたにもかかわらず、今ひとつ彼の作品が日本に紹介されてこなかったのは、理由があった。文学や音楽は複製して簡単に輸入することができたが、絵画作品は1点限りであり、まだ写真技術も進んでいなかったのだ。さらに、レーピンの作品は上流階級の人々が購入したため、海外に出ることが極めて稀であった。
さらに、戦後美術の中心地がヨーロッパからアメリカへと移った。レーピンの代表作の中に「ヴォルガの船曵き」(今回の展覧会でも習作「浅瀬を渡る船曳き」が出展)があるが、社会主義的リアリズムの作品であり、彼自身が人民の画家というイメージがあった。冷戦時代となった際には、彼の作品は東側を代表するものとして米国の批評家には酷評されてしまったのだった。米国の代表的な美術批評家であるクレメント・グリーンバーグは、その代表作「アヴァンギャルドとキッチュ」(1939年)において、ピカソをアヴァンギャルドの代表とし、一方でキッチュの代表としてレーピンを挙げて批判したのであった。
今回の代表的な作品についての紹介がいくつか行われた。
「皇女ソフィヤ」。山下氏曰く「マツコ・デラックス」。ものすごい憤怒の表情を浮かべた皇女ソフィア、その幽閉された部屋の外には彼女を支持していた銃兵隊の処刑された死体がぶら下がっているという凄まじい作品で、中野京子氏のベストセラー「怖い絵」でも紹介されている。
「休息―妻ヴェーラ・レーピナの肖像」。レーピンの妻ヴェーラを描いた作品で、まだ20代という若さの彼女が可憐に眠る姿を描いているが、X線で撮影すると、元の絵では目を開いていたことが判明している。
「思いがけなく」。「放蕩息子の帰還」(レンブラント)的なモチーフの作品であるが、革命家が家に帰ってきた際の家族の驚きを描いている。ピアノを弾いている人がいるという比較的裕福な家庭。皇帝アレクサンドル2世の葬儀の写真と「ゴルゴタ」の絵が飾ってあり、また革命家の背後の扉の枠が十字架を思わせるところがある。
「1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン」。イワン雷帝が息子を杖で殴り殺すという衝撃的なテーマを描いた作品であり、ロシア史上、初めて皇帝の命令により地方美術館での展示から外すようにとされた作品である。その命令に反して作品は展示されたが、皇帝アレクサンドル3世の寛容性をプロパガンダするために、その命令は取り消された。
レーピンはモスクワに住んでいたのは5年間のみで、人生の大部分はサンクトペテルブルクで過ごした。(革命後はフィンランドへ移る)サンクトペテルブルグは、ロシアが西欧に向けた唯一の窓というべき都市であり、また皇帝の街であった。一方でモスクワはスラブ派の街であり、人民の街であった。皇帝の肖像画を描き、美術アカデミーの校長という地位にあったレーピンは、いかにもサンクトペテルブルク的なアーティストだった。
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今回は観覧時間は30分のみということで、あまりゆっくりと観ることはできなかったのだが、80数点という彼の作品はいずれも傑作ぞろいであり、しかもテーマ的にも多岐にわたっている。まず印象的なのは、レーピンの圧倒的なテクニックの高さである。今回の対談でも、レーピンは元々画力があるタイプと山下氏が評しているのも納得。実に絵が巧いのだ。「浅瀬を渡る船曳き」のような社会主義的リアリズムの作品があったと思えば、妻や息子、娘などを愛情豊かに丁寧に描いた作品もあり、また美術アカデミーの給費留学生として訪れたパリの影響を受け、印象派的な光の表現を使った作品もある。さらに、前述のムソルグスキーやトルストイを始め、「ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像」や、「イタリア人演劇女優エレオノーラ・ドゥーゼの肖像」など、芸術家を描いたゴージャスな肖像画も。その一方で「皇女ソフィヤ」や「1581年11月16日のイワン雷帝とその息子イワン」(習作)、「ゴーゴリの『自殺』」のような、歴史的事件を圧倒的な迫力で描いた大作もあり、リアリズムという表現手法を取りながらも幅広いテーマがあって飽きさせない。この充実ぶりに、もう一度ゆっくり観たいと思った。
また、イヤホンガイドを借りたところ、ムソルグスキー、グラズノフ、グリンカなどの音楽も使用されているので、ロシア的な気分が一層盛り上がる。「展覧会の絵」を聴きながらムソルグスキーの肖像画を観るという経験は大変面白かった。スペシャル解説で、東京外国語大学学長の亀山郁夫氏の話を聴くこともできる。
会期
2012年8月4日(土)-10月8日(月・祝) 開催期間中無休
開館時間
10:00-19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日21:00まで(入館は20:30まで)
会場
Bunkamuraザ・ミュージアム
巡回予定
浜松市美術館 2012年10月16日~12月24日
姫路市立美術館 2013年2月16日~3月20日
神奈川県立近代美術館 葉山館 2013年4月6日~5月26日
なお、今回の対談に参加された山下祐二氏は、Bunkamuraザ・ミュージアムで開催される「白隠展」(12月22日~2013年2月24日)の企画担当であり、こちらの方も大いに期待できるとのこと。白隠の作品は国宝や重要文化財が1点もないことを逆にうまく利用して、大胆な展示を見せてくれるそうである。
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