1/30に、「今パリ行きの電車に乗って、パリ・オペラ座でのリハーサルに向かっている」という連絡を受けました。2月4日と8日の「オネーギン」を、指をねん挫したエルヴェ・モローが降板して代役としてエヴァン・マッキーが出演するということでした。その時点でチケットがすべてソールドアウトだったけど、意を決してパリに向かい、無事に2公演観ることができました。(なお、エルヴェ・モローは無事怪我が回復して、今は「オネーギン」の舞台に立っています)
http://www.operadeparis.fr/saison-2013-2014/ballet/oneguine-john-cranko
Ballet De L'Opera
Oneguine
John Cranko
Orchestre de l'Opera National de Paris
James Tuggle Direction musicale
Evan McKie Eugene Oneguine
Isabelle Ciaravola Tatiana
Mathias Heymann Lenski, ami d'Oneguine
Charline Giezendanner Olga, soeur de Tatiana
Christine Peltzer Madame Larina
Ghyslaine Reichert La Nourrice
Karl Paquette Le Prince Gremine
イザベル・シアラヴォラがエトワールに任命されたのが、このタチヤーナ役で2009年4月のこと。5月に彼女がエルヴェ・モローと踊ったのを観て、その時の彼女も素晴らしかったけど、大人っぽい容姿から1幕では年若く内気な少女には見えなかったという記憶がある。ところが、今回の彼女は違っていた。大人しく夢見がちな女の子だけど、オネーギンの登場で瞳をキラキラさせ、恥ずかしそうに微笑む。鏡のシーンでは、まるで向日葵のように笑顔を全開にさせて、幸福感を全身で表現していた。演技力に提供のあるイザベルならではのタチヤーナは、10代の少女が恋を知った様子をすごくリアルに表現していて、実に可愛らしく、観ているほうも思わずウルウルと涙ぐんでしまうほどだった。本番までに2回しか通しリハーサルをする時間がなかったと聞いていたが、パートナーシップも完璧。オペラ座一の美脚を誇る長細い肢体のイザベルと、長身で手脚の長いエヴァンは、ビジュアル的にもとても合っていて、華奢で軽やかなイザベルの体は空を舞うようにリフトされて、魔法のように彼の手によって操られていた。
恋する少女だったタチヤーナが、2幕でひどく傷つけられメソメソ泣いていたのもつかの間、レンスキーの非業の死によって一気に大人への階段を上ることとなり、再びオネーギンに再会した時の3幕での彼女のあでやかさ。幸せな生活を送っていたにもかかわらず、イザベルのタチヤーナは激しく揺れ動いていた。彼女は最後の最後まで、オネーギンとの人生を送ることまで考えていたように思えた。後ろからにじり寄ってくる彼の求愛に、思わず茫然自失となり放心したように倒れこむ様子には、感情の波に翻弄されているのが胸に痛いほど伝わってきた。そして彼を自分の人生から永遠に立ち去るように命じた後の、我を失い、ひどく混乱してよろよろと舞台を彷徨う姿には、作り物ではない、本物の想いが感じられたのである。イザベルとエヴァンは、舞台の上でいくつも会話を交わし、様々な感情をつぶさにぶつけ合っていた。グレタ・ガルボのような古典的な美貌のイザベルとエヴァンの手紙のシーンは、古いハリウッド映画から抜け出た美男美女の物語のようでもあり、それでいて、ここで繰り広げられるドラマは絵空事ではない。とても繊細で、感情豊かで、本当に存在していて血を流して呼吸をしている人々を描いていた。3幕のパ・ド・ドゥでは、ドレスの裾から覗くイザベルの、絶妙なカーヴを描く足首の美に魅せられるとともに、そのちらりと覗く華奢な足首のラインこそが彼女の強い想いを表現する最大の武器の一つとなっていたのを感じた。
2010年1月のオネーギン役デビューから4年。現代最高のオネーギン役の称号をついに手にしたエヴァンだが、彼は毎回少しずつ演じ方を変えている。1年半前に観たときには、剃刀のように尖っていてほかの人を寄せ付けないような、それでいてとても悲しげなオネーギンだった。今回の彼は、もっとリラックスしていて、1幕ではタチヤーナに対しても丁寧に感じよく接していながらも、でも本質的には彼女には関心がないのだった。3幕では、過去の恋人たちの幻影に苦しめられ、レンスキーを殺したことやタチヤーナを傷つけたことを悔やみ、それでも最後の希望として彼女への想いを遂げようとする姿を鮮やかに演じていた。特筆すべきは、手の表現の豊かさと、隅々まで行き届いた美意識あふれるしぐさの美しさ、そしてパートナーによって臨機応変に演技を変えていく柔軟性だろう。イザベルという成熟した大人のあでやかさを引き立てる、クラシックな演技をこの日は見せていた。オーレリー・デュポンと彼が演じた「オネーギン」はパリではすでに伝説となっている。その伝説を超えるのは難しい。オーレリーとイザベルでは、タイプがまるで違う、オーレリーのタチヤーナは大地に根差した強さを持つ女性で、ロシア女性らしさは彼女のほうが持っていたと感じられるし、イザベルのような繊細さがない分、我を失いタチヤーナとしての感情に溺れる姿は強烈なインパクトがあった。今回のイザベルとの「オネーギン」は、よりドラマとして整っていて、クラシックなメロドラマとしての美しさがあったように感じられた。
2009年にイザベルがエトワールにノミネされた時に、同時にレンスキー役でエトワールとなったマチアス・エイマン。純朴で好感度が高い、理想主義的な青年をこの日も好演し、その彼がオネーギンに侮辱して傷つく姿を見るのはとても痛ましかった。月光の下のソロはあくまでも悲劇的で自己憐憫性やナルシズムは低く、ひたむきなだけに悲しく思えた。オルガを演じたのはシャルリーヌ・ジザンダネ。軽薄でうわついたオルガの可愛らしさをよく演じていて、踊りのテクニックもとても達者だったけど、もっとレンスキーとの気持ちの交わり合いが伝わってきたらもっと良かっただろう。今回、まだ2回目の登場だったので、3月頭に「オネーギン」が幕が下りるころにはきっと、愛らしいカップルのじゃれあいがもっと感じられるようになっているはず。
コール・ドについては、女性はエロイーズ・ブルドン、ローラ・エケ、パク・セウンなどのスジェが多く投入され、男性ではアクセル・イボが身体能力の高さで目立っていたほか、ヤニック・ビッテンクール、フロリモン・ロリュー、マルク・モロー、ファビヨン・レヴィヨン(モロー、レヴィヨンは別の日にレンスキー役で出演予定)、ダニエル・ストークスなど、日本でもよく知られているダンサーたちで固めてあったが、2日目は、ディアゴナルでグランジュッテで駆け抜けて行くシーンはまだ十分そろっていなくて、やや迫力に欠けるところがあった。
グレーミンを演じたのはカール・パケット。彼がタチヤーナに寄せる、包む込むような穏やかな愛情が感じられ、威厳もあって素晴らしい演技だった。前日の初日にはオネーギン役を演じた彼が、翌日にはグレーミンというのもなかなか大変だったのではないかと思われるが、グレーミンとして舞台に立っている間も、エヴァンが演じるオネーギンをよく観察しているのがわかった。
イザベル・シアラヴォラは、2月28日に「オネーギン」のタチヤーナ役で、オペラ座に別れを告げる。(3月には「椿姫」でオペラ座の来日公演には参加する)繊細でドラマティックな演技者として、これ以上彼女のアデューに適した役はないだろう。長年共演を重ねてきたエルヴェ・モローがその時のパートナーとなり、そしてもう一人の長年の共演者、カール・パケットがグレーミン役で彼女をサポートする、それはきっと心ふるえるような感動的な一日になることだろう。これを観に行くことができないのがとても残念。
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