日本を代表する舞踏家の室伏鴻さんが、6月18日、心筋梗塞のためメキシコ市で亡くなりました。68歳でした。
http://www.asahi.com/articles/ASH6M3526H6MUCVL001.html
1947年、東京生まれ。舞踏の始祖、土方巽(ひじかた・たつみ)に師事し、72年、麿赤兒(まろ・あかじ)さんらと「大駱駝艦(だいらくだかん)」を旗揚げ。女性だけの舞踏集団「アリアドーネの會(かい)」のプロデュースを経て76年、舞踏派「背火」を主宰し、福井県五太子町(現福井市)に劇場「北龍峡」を開く。78年にパリで上演した「最期の楽園」が1カ月のロングランとなり、日本発の舞踏が「BUTOH」として世界に認知されるさきがけとなった。神奈川県の湘南で幼少期に見た水死体や出羽三山で見たミイラに触発され、死と再生を身体表現に昇華。海外で積極的に公演を行い、2006年にはベネチア・ビエンナーレで「クイック・シルバー」を発表、銀色に塗られた裸体のうごめきが高く評価された。
関係者によると、室伏さんはブラジルのサンパウロなどでの公演を終え、ドイツでのワークショップに向かおうとしていた。18日午前8時(日本時間午後10時)ごろ、乗り継ぎ地のメキシコ市の空港で倒れ、ヘリコプターで病院に搬送されたが、約2時間後に死亡が確認されたという。
直前まで海外での公演に出演されていて、元気だったため、突然の悲報は多くの人々に衝撃を与えたようです。室伏さんに薫陶を受けたり、影響された芸術家は非常に多く、また国際的にも活躍されていたので、世界中から追悼の声が上がっています。
先ほどブラジルより帰国しました。みなさんもう知ってる方も多いようですが、今回のツアーは室伏鴻さんの作品のツアーでした。別の飛行機で動いていたのでトランジット中に訃報をききました。亡くなる半日前まで一緒に行動していたので、あまりの突然のことに正直実感も持てぬままでいます。
— 岩渕貞太 (@iwateita) 2015, 6月 19
6月18日、室伏鴻さんが逝去されました。岩渕貞太は2007年に『DEAD1』に出演して以来、亡くなる直前のブラジルツアーまでKo&Edgeにダンサーとして参加させて頂きました。写真はサンパウロの劇場で岩渕が撮影した室伏さんです。(続) pic.twitter.com/9fHiI6kNts
— 岩渕貞太 身体地図 (@BodyMap_) 2015, 6月 19
朝からずっと室伏鴻さんの急逝に驚いているけれど彼の踊りはそれ以上に驚きでした。見た目はおっさんだけど踊る体は男に見えた事がなく、性を超える生物で、動きの中に女の命を持っている人で、舞踏の面白さを教えてくれる身体でした。大好きな踊り手でした。情けない話も文学の話も面白かった。
— Un Yamada (@uncoubou) 2015, 6月 19
写真はすべて室伏鴻さんとの最後の仕事になってしまった「Tokyo Experimental Performance Archive」より。合掌、そしてありがとうございました。 ©bozzo pic.twitter.com/Z0ZvitO4Dj
— 日本パフォーマンス/アート研究所 (@jpai2) 2015, 6月 18
横浜ダンスコレクション コンペティションの審査員であります室伏鴻さんが、ブラジル公演後、立ち寄ったメキシコで急逝いたしました。
振付家・舞踏家、また審査員として、若手振付家・ダンサーへの多大なる激励に感謝申し上げます。お悔やみを申し上げるとともに、ご冥福を心からお祈りいたします。
— 横浜ダンスコレクション (@ydc_ex) 2015, 6月 19
1978年に室伏さんが演出したアリアドーネの會の「最期の楽園」パリ公演の成功が、日本の舞踏が世界に羽ばたく第一歩だった。
— 巻上公一 (@MAKIBRI) 2015, 6月 19
On apprend la disparition de Ko Murobushi grande figure du butô. tristesse.
— philippe noisette (@philippenoisett) 2015, 6月 19
室伏 鴻さんのインタビュー記事
http://www.performingarts.jp/J/art_interview/1109/1.html
室伏さんは、騎馬オペラで有名なバルタパスともコラボレーションをしていたのですね。
「アウフヘーベン! vol.1 室伏鴻×ASA-CHANG&巡礼」2014年9月23日 at CAY(青山) from precog on Vimeo.
偉大なアーティストがまたこの世を去ってしまいました。お悔やみ申し上げます。