ボリショイ・バレエで2013年に起こったセルゲイ・フィーリン芸術監督の硫酸襲撃事件と、その後の顛末を描いたドキュメンタリー映画。
この映画は、硫酸襲撃事件の真相については、ほとんど迫っていない。犯人として逮捕され現在服役中のパーヴェル・ドミトリチェンコについての扱いは小さいし、結局真実は闇の中、として放置されている。それよりも、この事件が起きた背景に何があったか、そして事件後ボリショイはどうなったか、ということが中心になっている。
衝撃的なのは、この事件の被害者であるセルゲイ・フィーリンについての同情的な描写はほぼないことである。ボリショイの大スターだったフィーリンは、引退後モスクワ音楽劇場バレエ団の芸術監督となり、そして数年後に古巣ボリショイに、芸術監督として帰ってくる。団員時代は親しくしていた元同僚たちが打って変わって冷淡になってしまったと語っていた。事件後、彼のために公演を捧げます、と舞台上でザハロワが宣言する場面はあったものの。
フィーリンの苦境に輪をかけたのが、モスクワ音楽劇場の総裁だったウラジーミル・ウリンがボリショイの総裁となったことである。襲撃事件による混乱の責任を取って、前任のイクサーノフが退任。ウリンは、クレムリンに呼び出されてプーチンとも会談するが、劇場への干渉はきっぱりと断るなど、非常に有能でやり手だ。その彼が、フィーリンとの関係は、「ビジネスだ」と2回、冷たく言い放つ。モスクワ音楽劇場時代に、フィーリンがバレエ団の芸術監督を退任してボリショイに移ってきたことを不快に思っていることも明言していた。
ボリショイは、魑魅魍魎うごめく魔界のようである。ウリンがボリショイの総裁を引き受けると話した時、彼の妻は一晩中泣いてやめてくださいと懇願したとのこと。政治家や評議員が何人も登場し、ボリショイ・バレエには政治の影が色濃く落ちている。
フィーリンが、なぜ団員の間からこんなにも疎まれてしまったのかの具体的な理由は、途中まで描かれていない。ABTから移籍したデヴィッド・ホールバーグと彼が話すシーンは挿入されていて、それとなく匂わされているのだが。ハンサムで日本でも人気が高い元スターダンサーに、何があったのか。
後半になって、マリーヤ・アラーシュがインタビューで明かす。フィーリンが外部から多くのダンサーたちを連れてきて重用したこと。「私たちより下手な人たちが優遇されるようになったのよ」と。アラーシュは、楽屋に飾った娘の写真を見ながら、ダンサーは厳しい職業なので、娘はダンサーにはしたくないと語る。(彼女の夫君も、ボリショイのキャラクター・ダンサー、アレクセイ・ロパーレヴィッチ)
一方で、ドミトリチェンコが犯人だとは思えないともアラーシュは語る。彼は労働組合のリーダーで、ダンサーの権利のために戦っていた立派な人だったと。彼の無実を訴える嘆願書には、100人以上のダンサーたちの署名が集まった。バレエ団内では、あきらかに、反フィーリン派と、親フィーリン派の二つに分断されていた。フィーリンは、そんなドミトリチェンコのことを、こんな卑劣な犯罪に手を染める彼は人間ではない、と断罪する。
フィーリンと対立していて、事件の黒幕ではないかと噂されていたニコライ・ツィスカリーゼ。事件後彼の契約は打ち切られる。「私が人を連れてバレエ団内を歩くと、彼らは驚く。歩くだけでみんな私に対して拍手するから」と誇らしげだ。ドミトリチェンコの恋人で、事件の引き金とも言われたアンジェリーナ・ヴォロンツォーワは、ツィスカリーゼの教え子だった。
そして決定的にフィーリンは団員たちの前で屈辱を味わう。ウリンが音楽監督の交代を発表し、団員たちと話し合いたいと語った時、フィーリンは、バレエ団内にピラティスの機械を導入することを提案する。だが、団員たちはその提案を一笑に付し、ウリンも、あからさまに彼の提案を無視する。フィーリンがピラティスの重要性を訴えても聴く耳を持たないで彼の言葉をさえぎるほどだ。
(※ピラティスは、けが予防及びリハビリに役立ち、英国ロイヤル・バレエを始め、実際には多くのバレエ団で取り入れられている)
フィーリンの最後の言葉が悲しい。「襲撃事件がなかったとしても、ボリショイの芸術監督は引き受けるべきではなかった」
そしてナレーションで、追い討ちのように「ボリショイはフィーリンとの契約を更新しないことを発表した」と締めくくられる。
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このように影の部分もある一方で、もちろん光もある。ロンドン公演の舞台上で、アキレス腱を切断する大怪我を負ってしまったマリーヤ・アレクサンドロワ。長い怪我からの復帰に向けて「白鳥の湖」のリハーサルを重ねるが、教師に酷評される始末。ボリショイを代表するスター・バレリーナの彼女でさえ、すっかり自信を失い、舞台に復帰するのが怖くて仕方ない。「一番怖いのは、踊れなくなること」勝気そうに見える彼女が弱音を吐く様子も見せる。しかし、彼女にとってボリショイとは、神であり、信仰である。事件があって劇場が揺らいでも、彼女はボリショイを信じている。「アパートメント」でようやく復帰を果たした時の晴れやかなガッツポーズには、胸が熱くなる。
ファースト・ソリストのアナスタシア・メシコーワは、離婚して一人で小さな息子を育てている。朝早く起きて息子を学校に送り出し、生活は楽ではない。一生懸命頑張っているのに、思うように役はつかない。子供時代からの夢だったボリショイ。ファンからの花束は届かない。息子の誕生日、彼を楽屋に呼ぶが会うのは一週間ぶり。「ロスト・イリュージョン」でスポットライトを浴びてグランフェッテを踊る母を舞台袖から観る息子、のはずだったけど現実には彼はスマホゲームに夢中で母の姿を観ていない。それでも、彼女は懸命に踊り続けるのだった。このようにダンサーの人間としての一面を描いたことは良かった。
バレエ団の根底を揺るがすような大事件が起きても、舞台は毎晩上演され続ける、そんな芸術の強さを描いた作品ではある。しかし、どうしても光よりも闇の部分が強調された編集となっており、特にフィーリンの独白で終わるので、後味は良くない。
また、取り上げられたインタビューでも、フィーリンに同情する言葉が一つも聴けなかったのは、ドキュメンタリーとしても片面的であって、詰めが甘いのではないかと感じた。フィーリンがほかのバレエ団から連れてきたダンサー、例えばホールバーグ、オブラスツォーワ、チュージンなどのインタビューがあればもっと良かったのではないかと感じた。とにかく深みがないドキュメンタリーである。ボリショイの舞台裏が覗けたり、アレクサンドロワの苦闘中から復帰までの姿が見られ、ダンサーやスタッフの率直な話が聴けるので大変興味深いのではあるが。
そして、何より、ボリショイの偉大な芸術の素晴らしさに対する敬意が足りない作品だと感じられてしまった。バレエのシーンやリハーサルのシーンも少ない。ロシア人がボリショイ・バレエに寄せる熱狂的な愛情は、こんなものではない。いかにも、ロシア人ではない、英国のドキュメンタリー作家が作った映画である。ウリンからも、ついぞボリショイの芸術を称えるような言葉も聞かれなくて、良くも悪くも彼はビジネスマンなのであり、政治家であることを実感させられた。
近日中に発表されるフィーリンの後任は、果たして誰になることだろうか。
マリーヤ・アレクサンドロワのインタビュー記事(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11982838.html